ヘンプの流れを変えた7人の偉大なヒーローたち

上院多数党院内総務ミッチ・マコーネル(ケンタッキー州共和党)は、ワシントンDCの最も有力な政治家に入る強硬路線の保守派です。さらに、彼は2018年の農業法案に彼が付け加えた、過去80年間にわたり禁じられてきたヘンプを初めて農産物として合法化した大規模な改正案のおかげで、今では公の‘ヘンプヒーロー’です。 

マリファナより先にヘンプがついにアメリカ全土で合法化!大麻とともにすでにブーム中のCBD産業に及ぼす影響とは?

マコーネルは自分の州であるケンタッキー州で苦労しているたばこ農家が栽培できる代替作物を提供することを目指して、電光石火のスピードで立法化のプロセスを通じて規定を動かすために上院内の指導的地位を利用しました。アメリカの農民は今、栄養価の高い食物供給源やヘンプ由来のCBD製品のような産業使用のために自由にヘンプを栽培し、加工することができます。アメリカの最も典型的な政治家の1人のおかげで、長い間極左の夢物語と見なされていた問題が突然国法になったのです。

マコーネルは大麻反対派のヘンプヒーロー

ミッチ・マコーネルの問題は‘ヘンプヒーロー’になってから長くはなく、大麻の合法化にはかたくなに反対派の立場をとっていることです。マコーネルは、国内産たばこがもはや利益を生み出さなくなるまでは、ヘンプは危険過ぎでアメリカの土壌では育てられないと考えていた人物です。さらに、ケンタッキー州農民が高濃度THC大麻種を栽培することは現在も支持していません。事実、彼の発言は、存続する合法の大麻業界を守るための取り組みに反対する者として国会で大きな役割を果たしており、ましてや連邦規模の禁止を完全撤廃することなど気にも掛けていません。

長い歴史において、ヘンプムーブメントは活動家、科学者、作家や数人のアメリカ合衆国建国の父を含む、心から褒め称えられる多くのヒーローを生み出しました。革新的な7人のヒーローを紹介しましょう。

ジョージ・ワシントン

アメリカ合衆国建国の父達は、植民地時代のアメリカ経済において計り知れないほど貴重な役割を果たした万能作物であるヘンプを栽培しました。とはいえ、彼らが自分達の作物で‘ハイの状態’になったという直接的な証拠はありません。

「私は庭師がインディアンヘンプの種の多くを保存していたことを知って非常に嬉しいです。種を最大限に活用しよう。土壌の準備を十分に整えよう。ヘンプは至る所に生えるだろう」とジョージ・ワシントンは彼の農場管理者のウィリアム・ピアースに記しました。

ワシントンは1760年代にたばこの収穫物に付けた値段が突然急落した時、初めて商業作物としてヘンプに興味を持ち始めました。しかし、彼は農場において自分自身のニーズを補うのに十分なヘンプのみを栽培し、結局は小麦に焦点を絞ることに決めました。アメリカ革命の未来のリーダーは主に、近所のポトマック川で魚を引き上げるのに使う大きな網を作るために、バーノン山で育てたヘンプを使用しました。

今日、2世紀の空白を経て、ヘンプは国立公園サービスが国立歴史的建造物とモデル農場として保存しているワシントンの家と農場の地で再び栽培されています。バーノン山ヘンプの最初の現代の作物は2018年に収穫され、ロープと布を作るのに使用されました。

メアリー・エティエンヌ・ティボー修道女

ティボーはアイオワ州シーダーラピッズにあるマウント・マーシー短期大学に関係するカトリック修道女でした。1936年、連邦政府によるヘンプの禁止がアメリカ国法となるちょうど1年前に彼女は「タイム・ファクター・イン・ユティライゼイション・オブ・ミネラル・ニュトリエンツ・バイ・ヘンプ(ヘンプによる鉱物栄養素の利用における時間的要因)」と題した研究をアメリカ植物学会誌であるプラント・フィジオロジーに出版しました。研究結果は彼女自身が行った一連の二重盲検法の研究によるものです。

研究では全く同じ条件のヘンプ種を全く同じ条件下で育てましたが、さまざまな養液とこれらの培養における栽培期間を変更し、これらの対処による効果を調べました。『カルティヴェイターズ・ハンドブック・オブ・マリファナ』の著者であるビル・ドライクは著書の中でメアリー修道女の事を「全ての大麻栽培者の優れた精神的母親」と呼び、次のように話しています。

「彼女は大麻植物を素晴らしい研究者の系統的な先見の明で研究対象として記しています。彼女の研究は最大かつ最も厚い葉と最大量の樹脂を生み出すのに必要とされる栄養物に特に焦点を当てています」

彼女の人生の詳細は知られていませんが、ティボーが過去85年間の大麻栽培(ヘンプであろうと大麻であろうと)に大きな影響を与えたことを否定できません。彼女の名前を覚えている人はほとんどいませんが、大麻をいつどのように受粉するのが最適か決定することに関して彼女が成し遂げたことは、その後80年間の実験作業の基礎を築きました。誰かが品種に‘シスター・メアリー’と名付けたことはとうの昔の話です。

ジャック・ヘラー

1939年にニューヨーク市に生まれたジャック・ヘラーは陸軍に入隊するために高校を中退し、韓国で軍務につきました。彼は30歳になるまで大麻を吸ってみようとはしませんでした。その後まもなく看板屋の仕事を辞め、ロサンゼルスのベニスビーチにヘッドショップを開店しました。

ヘラーは大麻が合法になり、全ての人が刑務所から出所されるか、自分が84歳になるまでのいずれか早い方までと固く誓い、休むことなく大麻合法化運動を続けました。1981年にヘラーは大麻住民投票の署名を集めている間に連邦建造物への不法侵入の罪で逮捕されました。2週間刑務所に収容されていた際、1985年に出版された著書、『大麻草と文明(原題The Emperor Wears No Clothes)』に取り組み始めました。

労を惜しまない研究を通じて、ヘラーの代表作は、かつては崇拝されて一万年以上にわたって栽培され、植民地時代から1937年の大麻税法までアメリカ経済において重要な役割を果たした作物でありながら連邦犯罪にまでなったヘンプの隠された歴史を伝えました。ヘラーのアンダーグラウンドにおけるベストセラー作品は、見当違いなヘンプの禁止を撤廃し、産業作物として再び繁茂させれば、信じられない程の利益を生み出し、世界を食べさせ、化石燃料から解放し、気候変動を元に戻し、プラスチックに取って代わり、住宅危機を終わらせ、枯渇した地球上の土壌を復旧させるであろうと主張しました。
「ヘンプが地球を救うのかは分かりませんが、その可能性のある唯一のものです」と彼はかつて名高く意見を述べました。

将来性の高さが分かる!ヘンプの歴史と有用性

アレックス・ホワイト・プルーム

アレックス・ホワイト・プルームは1952年にサウスダコタ州パイン・リッジ・インディアン居留地に生まれ、数少ない職の求人と体系的な貧困に苦しむインディアン居住地に経済的かつ環境的に持続できる収入源として合法なヘンプ生産を提唱することに人生のほとんどを捧げました。1998年に、彼は部族による大麻栽培の禁止から産業ヘンプを免除する条例を採用するようにオグララ・スー族を説得しました。2年後、条例や部族の独立した自治区としての地位がアメリカ連邦の干渉から彼の取り組みを守ってくれると信じ、プルームは小区画のヘンプを育てました。

しかし、アメリカの管轄下で最も辺鄙な貧困地域で非常に少量の興奮作用のない大麻が十分に成長する前に、連邦機関の軍隊が銃を振り回し、防弾チョッキを身に着けてホワイト・プルームの土地に到着しました。彼は大家族と共に質素な家とトレーラーハウスの集合地で暮らしていました。連邦政府員は金属製の芝刈り機持って来て、作物を刈り取り、それを持ち去りました。

ホワイト・プルームが再びヘンプを栽培した次の年にも政府は同じことをしました。2002年には実際に少量の作物をどうにか収穫しましたが、麻薬取締局が許可を与えるまではこれ以上ヘンプ栽培をさせないために、将来を見越して直ぐに彼は裁判所に呼ばれました。これによって遂に彼は圧力に屈し、栽培をあきらめましたが、ホワイト・プルームは根気強くオグララスー族内と世界的にヘンプ運動を続けました。

2016年に、連邦レベルにおけるヘンプ農業の新保護法に基づいて、彼は再び栽培を始めました。今回は少量の商業作物でした。彼は今ではホワイト・プルームの名前が入った代表的な商品を含むチンキ剤、カプセルを作るためにヘンプを使用するエヴォ・ヘンプというコロラド拠点の会社に収穫物を販売しています。

ケネス・ガルブレイス

ヘンプ栽培の全国合法化キャンペーン最中のある時、上院多数党院内総務ミッチ・マコーネルは仲間のケンタッキー州共和党員ジェームズ・カマーに少しの敬意を表しました。マコーネルはカマーのことを「現在全国的な民意にまで発展しているヘンプ合法化運動において大きな役割を果たした最初のケンタッキー州民」と呼びました。このことは、今は亡き偉大なるケネス・ガルブレイスの娘モーリー・ガルブレイスを心底うんざりさせました。

ケネス・ガルブレイスはヘンプ合法化運動中のキャンペーンの遊説や、その後5回連続で立候補した知事選では常にヘンプスーツを着用していました。大麻とヘンプを人々に広めるためにちゃっかりとその立場を利用したいと考えた無謀な挑戦でしたが、当選はしませんでした。非常に個性的な人物で、率直で正直な人として知られており、根気強く、ヘンプをケンタッキー州の悩めるたばこ農民のための代替作物として位置付けることによって多くの人々を説得して味方に引き入れました。

キャンペーン遊説における彼の最高の瞬間は間違いなく、ヘンプを燃料にした車でウイリー・ネルソンとケンタッキー州を横断したことでした。しかし、彼のもっとも偉大な遺産は彼の故郷の州がヘンプ栽培を再び合法に導いたことになるでしょう。

デイビッド・ブローナー

エマニュエル・ブローナーは1929年にアメリカに移住したドイツ系ユダヤ人石鹸メーカーの3代目でした。石鹸業界において独立することを意図していましたが、結局は両親をナチの強制収容所で亡くしたホロコーストから間一髪で逃れ、アメリカにたどり着きました。その後、さらにアメリカで妻が若くして亡くなった後、デイビッドは簡単な概要を定義したオールワン哲学を発展させました。この哲学は今もドクター・ブローナー社の象徴的なマジックソープのボトルすべてに印刷されています。

「非常に辛い人的な悲劇の真っ最中で、祖父は強烈的な象徴的な愛と人類の一体性を経験しました。祖父は人種や宗教の分離を超えて超越的な結束を認識するべきであると大衆や世界の指導者達に気付かせるために彼のオール・ワン哲学を必死に促進しました」と会社の現最高責任者、デイビッド・ブローナーは説明します。

エマニュエル・ブローナーについてもっと知りたい方は、面白く啓発的なドキュメンタリー『ドクターブローナーズ・マジック・ソープボックス』を見てください。しかし、ここで伝えたいのは彼の高い理想と18種類の異なる用途を持つ実用的で総天然の商品の融合が、ドクター・ブローナーの石鹸を1960年から70年代のヒッピー達に流行させたことです。デイビッド・ブローナーの強い勧めのもと、1999年に会社が石鹸にヘンプオイルを追加し始めた時、売上は更に急増しました。当時の年間売り上げ4億ドルから2015年には100憶ドルまで急激に伸びました。

一時期はカナダ産ヘンプシードオイルを年間20トン輸入していましたが、解禁後のアメリカ国産ヘンプ生産の強化に伴い徐々に国産を増やしています。ドクター・ブローナー社は大麻合法化、メンタルヘルス研究、環境問題における公平性、動物の権利の主張やLGBTコミュニティのために毎年何百万ドルを寄付しています。

デイビッド・ブローナー自身は汗を流して働くことをいとわない率直な活動家です。バージニア州アーリントンにある麻薬取締局の建物の外の芝生でヘンプの種を植えたり、またはホワイトハウスの外でへンプ禁止法への抗議のために数時間自分自身をおりに閉じ込めたりしたことはほんの一例です。

ダグ・ファイン

作家、NPR貢献者、自称太陽熱発電ヤギ飼いであるダグ・ファインはヘンプ合法化への変移を記録した著書によってヘンプ合法化運動に貢献しました。著書『ヘンプ・バウンド』において、彼は石油関連に依存する社会から主にヘンプによって機能する社会への移行の道筋を示しています。最終的にヘンプは世界の食糧問題を解決し、石油燃料から解放し、気候変動を元に戻し、枯渇した地球上の土壌を復旧させることで、合法化された大麻よりも多くの課税収益を生み出す未来を予測しています。ちなみにファイン自身が‘ハイの状態’になることはなく、著書が2014年に出版された後まもなくして実際にファインはヘンプ農家になりました。

出典:Leafly