●一部のがんで治療成績を劇的に改善
●分子生物学の発展から生まれた
●低分子薬と抗体医薬とがある
今や薬物療法の主役
「分子標的薬」は、2000年前後に、全く新しいタイプの抗がん剤として登場しました。
あと10年もすれば、細胞毒系の抗がん剤に代わって薬物療法の中心になるだろうと言われ、新薬を次々と開発されています。分子標的薬によって、既存の抗がん剤では手も足も出なかったがんの一部に対して、劇的な治療効果が現れました。
例えば、グリベック(イマチニブ)によって慢性骨髄性白血病や消化管間質腫瘍の治療は一変しました。慢性骨髄性白血病の場合、グリベック治療による7年生存率は86%、骨髄移植以外に道がなかった患者さんも、錠剤を飲むだけで生き続けられるようになったのです。
また、有効な薬剤がインターフェロンやエンターロイキン2などのサイトカイン(免疫細胞から分泌されるタンパク質)のみで化学療法の恩恵があまりなかった腎細胞がんでスーテント(スニチニブ)やネクサバール(ソラフェニブ)、ヴォトリエント(パゾパニブ)、インライタ(アキシチニブ)といった分子標的薬が次々登場して、治療成績を大きく改善しました。
また、抗がん剤が耐性によって効かなくなった多発性骨髄腫に対し、ベルケード(ボルテゾミブ)はその約4割の患者さんの症状を安定させたという報告があります。そもそも分子標的薬の誕生は、1980年代から1990年代に、がんの分子生物学が進歩したことがきっかけでした。分子生物学とは、生命現象を遺伝子やタンパク質の働きによって説明・理解しようとする学問です。
がん細胞の増殖や転移に関して、がんだけに見られる(特異的と呼びます)、あるいはがんで過剰に発現しているタンパク質が、重要な役割を果たしていることが分かってきました。その働きを抑制できれば、がん細胞の増殖や転移を抑えられるはず。こうしたがん細胞に特異的、あるいは過剰に発現し、がんの成長に関与している分子を見つけ、標的として攻撃するのが、分子標的薬です。
さらに最近は免疫調節分子(免疫チェックポイント分子)を中和(あるいは促進)することによって、がんを抑えられることもわかってきました。分子標的薬は、薬そのものの性状によって、大きく「低分子医薬」と「抗体医薬」に分けられます。
低分子医薬は、化学合成される比較的分子量の小さな化合物で、一般的な医薬品(漢方薬を除く)と同じタイプです。分子量が小さいため、細胞の中まで入っていくことができます。敵の懐に入って内部から相手を妨害するのです。
大量生産可能で、原理的には比較的低下価格となりやすい(実際の価格が安いとは限りません)です。ただし狙いとは違う場所で働いてしまって副作用をひき起こす危険性が常につきまといます。もう一方の抗体医薬は、体が免疫機能として持っている抗原抗体反応を応用したものです。
抗体は、体内に侵入した異物を攻撃・排除するため生物が産生するタンパク質で、異物の表面にある特定のタンパク質(抗原)に結合し、異物を封じたり免疫細胞を呼び寄せたりします。一つの抗体は一つの抗原だけに反応するという特異性があります。遺伝子工学の発達で抗体を人工的に作れるようになる誕生しました。
がん特異的な抗原と結合する場合は、がん細胞をピンポイント攻撃できることになり、高い治療効果と副作用軽減を期待できます。抗原が正常細胞にも存在する場合は、そこまで劇的な効果とはなりません。コストも課題です。低分子医薬とは違い、菌や生物細胞などを使う大規模な製造設備が必要です。その建設に莫大な費用がかかる上に、大量に生産したからといって、手間や時間をほとんど効率化できないため、必然的に価格が高くなってしまいます。
標的の違い 戦略の違い
●多いのは細胞増殖のシグナル伝達を妨害するタイプ
●血管新生を妨害するタイプも定着
●NK細胞(免疫の殺し屋)を呼び集めるタイプもある
分子標的薬が標的とする相手の性質によって、薬剤を分類できます。
まずは「シグナル伝達経路阻害剤」と呼ばれるグループ。多くのがんでは、細胞を増えさせるシグナルが異常に出ています。シグナル伝達を担っている物質に変異が起きているか異常に増えているためです。そこでこの物質と結合してシグナル伝達を妨げ、がんの増殖を抑えようと狙います。
典型例が、細胞表面にある成長因子受容体(EGFR)を狙うEGFR阻害剤。イレッサ(ゲフィチニブ)やタルセバ(エルロチニブ)、ジオトリフ(アファチニブ)などが挙げられます。細胞膜上のHER2受容体にがん増殖因子が結合するのを阻害して増殖を抑えるハーセプチン(トラスツズマブ)、パージェタ(ペルツズマブ)、タイケルブ(ラパニチブ)などのHER2阻害剤や、異常な遺伝子の活性化を同様の手法で抑えて、がんの死滅をめざすALK阻害薬のザーコリ(クリゾチニブ)なども同じ仲間と言えます。
次は「血管新生阻害薬」グループです。固形がんは自らの栄養補給のために勝手に血管を作り出すことが知られています(血管新生)。この血管が増えないようにすれば、がんは栄養を絶たれることになります。そこで、血管新生を誘導する物質(VEGF)もしくはその受容体に作用して働きを妨げ、がんをいわば兵糧攻めにして餓死させる作戦をとるのです。
最初に誕生したアバスチン(ペパシズマブ)は、単独でがんを小さくするには至らず、細胞毒系の抗がん剤と併用します。血管網を正常化させることで届きやすくなった抗がん剤が効果を発揮すると考えられます。その後も、スーテント、ネクサバール、ヴォトリエントなど続々登場しています。
「mTOR阻害薬」グループは、シグナル伝達阻害剤と血管新生阻害剤の両者の働きをすることで知られ、アフィニトール(エベロリムス)、トーリセル(テムシロリムス)などがあります。この他、リツキサン(リツキシマブ)やポテリジオ(モガムリズマブ)などは、がん細胞表面のタンパク質に結合してNK細胞などの免疫細胞を活性化し、がんを攻撃させます。ゼヴァリン(イブリツモマブチウキセタン)は、放射性同位元素を搭載して放射線でがんを攻撃します。
ちなみにアービタックスやハーセプチンなどは、標的に取り付いた後にNK細胞などの免疫細胞を呼び寄せ、がん細胞を攻撃させる働きもあります。この働きを抗体依存性細胞障害作用、ADCCと呼びます。
また、免疫チェックポイント阻害剤(詳しくは次章)は、免疫調節分子を中和してT細胞を活性化し、がん細胞を攻撃させます。
どこまで「夢の薬」か?
●当初の期待と異なり、副作用もある
●効くか効かないかは患者の遺伝子型次第
●治験時の患者像と実際の患者にギャップも
分子標的薬が登場した当初に期待されたのは、治療効果の高さだけでなく、細胞毒系の抗がん剤に比べて副作用が軽くて済むのではないか、ということでした。細胞毒系の抗がん剤は、がん細胞だけでなく正常細部も同じように攻撃してしまうために重い副作用が現れます。それに対してがん細胞を狙い撃ちする分子標的薬では、正常細胞への影響は少ないはずと期待されたのです。「夢の薬」と言われたこともあります。
ところが蓋をあけてみれば、そうは問屋が卸しませんでした。標的分子が、がん特異的で増殖に必須なら、正常細胞への影響を最小限にできて理想的です。しかし、このタイプの分子標的は、まだ三つしかありません。
変異型EGFR、ALK融合タンパク質、Bcr-Ab1融合タンパク質です。代表的な特効薬を一つずつ挙げれば、それぞれ「イレッサ」「ザーコリ」「グリベック」です。そして薬が低分子化合物の場合、たとえ標的ががん特異的だったとしても、別の所で働いてしまうリスクはあります。
また、現在はほとんどの分子標的薬が標的としているのは、がん細胞で正常細胞より大量に発生していて増殖に必須なものです。これらが多いと、がん悪性度が高かったり、予後が悪かったりすることが分かってきており、そうした分子の働きを抑えることで、予後が良くなるケースもあるのです。ただ当然のことながら、正常細胞に影響すれば副作用となります。
分子標的薬の副作用は、薬によって実に様々です。イレッサによる間質性肺炎は、広く知られるところとなりました。ハーセプチンは心不全を起こしやすくする側面がありますし、アバスチンは胃腸など消化管に穴が開く可能性があります。他にも、皮膚症状や血栓、高血圧など、確かに頻度は低いのですが、時として重い有害事象も起きるのです。
人種による効果や副作用の違いも明らかになってきました。従来はアジア人のがん治療にも、欧米人のデータが無条件に受け入れられてきました。しかし例えばイレッサは、結合しやすのが実は変異型EGFRで、その変異はアジア人に多い、と市販後に判明しました。日本人は欧米人の3倍イレッサの効き目が得られやすいという研究結果がありました。ただし、副作用として間質性肺炎が起きる率も、日本人は欧米人の20倍も高いとのこと。こうした人種差はイレッサだけでなく低分子のシグナル伝達阻害剤に特に顕著なようです。
患者の高齢化との兼ね合いもあります。日本は先進国の中で最も急激に高齢化が進んだ国です。これまでのがん治療のガイドラインは、若くて全身状態が良い患者を対象に作られたものでした。ガイドラインのよりどころである大規模臨床試験の被験者と実際の患者さんの層にズレがでてしまっているのです。
例えばアバスチンやネクサバール、スーテントは高血圧をひき起こす危険があります。高齢者は元々高血圧の方が多いもの。がん治療で血圧が上昇すれば、危険が高まります。このように高齢や、さらに持病といった不安要素を抱えた人をどう治療し、副作用にどう対処するか、考慮しなければなりません。
いずれにしても分子標的薬の副作用については、市販前の試験だけでは的確な予測は困難です。市販後の調査による副作用に注意を向け、医療現場に速やかにフィードバックされるよう求めたいところです。
適応拡大と併用に期待、そして新たな標的へ
●効くか効かないか、臓器とは関係ない
●薬剤耐性への対抗手段を考えやすい
●まだまだ使い方に工夫の余地は大きい
登場からおよそ15年を経て、分子標的薬の新たな可能性も検討されています。大抵の分子標的薬は、血液のがんにしても固形のがんにしても、かなり限られたがんについてのみ適応が承認されています。しかしそれは必ずしも他のがんに効かないからではありません。
実際には、他にもどんながんに効くのか、評価しきれていないままの薬剤が少なくないのです。そこに目を着けて相次いでいるのが適応拡大です。「もう治療法がない」と言われた人にも、「ひょっとしたら使えるのでは」という望みをもたらしています。
例えば、2011年にハーセプチンがHER2過剰の胃がんに適応拡大されました。それまでもハーセプチンはHER2過剰の乳がんに劇的な効果を上げてきましたが、今後は「がんの種を超えてHER2過剰の腫瘍に効く」というべきかもしれません。肺がんや卵巣がんへの適応についても議論が進んでいます。
この他、膵臓がんの患者会が行政を動かしてタルセバの適応に「治療切除不能な膵臓がん」が加えられたり、あるいはヴォトリエントの適応に「根治が切除不能または転移性腎細胞がん」が加えられたりしています。分子標的薬でも他の抗がん剤と同様に、耐性ができて効果がなくなることはあります。ただ、元々標的がはっきりしているので、耐性に対抗する新たな薬剤もある程度開発しやすいようです。
現に、グリベックやハーセプチンの耐性に直面し、慢性骨髄性白血病に対するスプリセル(ダサチニブ)やタシグナ(ニロチニブ)、転移性乳がんに対するタイケルブといった薬が生まれてきています。第2世代と呼ばれる分子標的薬です。
さらには、標的分子についての探索も進んでいます。かつては治療に使われてきた分子標的薬の多くは、EGFRやVEGFもしくはその受容体を標的としたものが主流でした。しかし、最近では、新しい分子を標的とした薬も続々と開発されてきています。
また、同じく研究の続けられているのが、分子標的薬同士、あるいは既存の抗がん剤との併用療法です。ハーセプチンに対して耐性が出てきた乳がんでも、ハーセプチンを残したままタイケルブなど他の分子標的薬を併用することで、単独使用より高い効果を得られることが報告されています。
一方、既に細胞毒素の抗がん剤で効果が認められ、標準治療のあるがんの場合も、その効果を高める目的で分子標的薬を併用することがあります。ハーセプチンはHER2過剰の乳がんに対して単独でも効果がありますが、抗がん剤と併用すると、より効果が上がるとされています。
先に血管新生阻害薬としてご紹介したアバスチンもこのケースでした。なお、アバスチンは単独ではかえって治療結果の悪くなることが大腸がんで報告されています。まさに抗がん剤と併用するための分子標的薬なんですね。
もちろん、薬同士にも相性があります。現実には、併用したら副作用が多く現れ、効果が低くなるという組み合わせも珍しくありません。良い相性の薬剤を見つける研究が日々続けられています。
理論ありきゆえの強み
分子標的薬の開発には、「こうすればがん細胞の増殖や転移をおさえられるはずだ」というコンセプトが先にあります。一方、細胞毒系の抗がん剤は、あまたの化合物の中から手探りで「がん細胞を効率よく殺す物質」を探し出し、薬として利用されてきたもの。理論が先の分子標的薬と、がん細胞が死ぬという結果から生まれた従来の抗がん剤、両者はまさに、真逆の間柄なのです。
ですから、耐性についても、従来の抗がん剤に耐性が出た場合に比べて分子標的薬は、不都合が起きている原因について見当もつけやすく、解決の糸口を探りやすいとされているのです。
